No.010 2000/07 お仏具の知識/「仏像の材質と技法」について

【仏像の材質と技法】

・浄土真宗本願寺派兵庫教区阪神西組金衆寺前住職
・元文化財保護審議会専門委員
・元奈良大学教授 故 光森正士先生

仏像を造るとき、何を素材として造るか、ということは非常に大事な問題です。素材のいかんによって、その製作法はもちろんのこと、製作にたずさわる仏師も異なり、また工人の口数も変ってきます。製作に要する日数、あるいは必要経費も当然のことながら異なってきます。とくに仏像の造立を発願した人が、いかなる仏像を造り、どこにどのように安置しようとするかによって、仏像の大きさも決められ、これによってさらに素材の選定も左右されると考えられます。

  仏像はつねに常住不変であることを願って造られるものでありますから、その恒久性、耐久性というものが考慮され、優れた素材が選ばれたと考えられます。
 銅や鉄というような金属素材によれば、堅固であり、耐火性もありますが、重量が大きくなります。木造や漆(乾漆造)によるものは、軽量で移動や移置ということは容易であり、像の大きさにもよりますが、災害時の救出もある程度可能であります。しかしもし救出できなければ灰燼に帰してしまいます。私達が今日、千年以上、あるいは七、八百年もという永い歳月を生き抜いてきた多くの仏像に会うことができるのは、仏師や造立発願者の素材の選定が正しかったことを如実に物語っているように思えます。
 造像に用いる素材は、自然(天然)に産する素材をそのまま用いるものと、自然(天然)素材に何らかの手を加え、加工してから用いるものとの二種があります。
 また、造像の素材によってその製作法も異なり、モデリング(盛り上げて造形する)による方法と、もうひとつ、カッティング(刻み込んで造形する)方法との二種に大別されます。

仏像の素材には次のようなものがあります。
 
 自然(天然)素材を用いるもの
  ①石材によるもの … 石造・石材の種類
  ②泥土(粘土)によるもの … 塑造(そぞう)・せん造・瓦仏
  ③木材によるもの … 一木造と寄木造・檀像(だんぞう)

 自然素材を加工して用いるもの
  ④金属造 …銅造(鋳造・押出し仏)・鉄造・銀造・金造
  ⑤乾漆(かんしつ)造

それぞれの素材による製作方法と作例等を簡単に御紹介しましょう。

1.石材によるもの

[石 造]
  これは普通「石仏」とよばれ、雨露に強いところから、野外、路傍などにおかれることが多くみられます。 石材は自然石をそのまま用いる場合と、山から切り出した切石を用いて造る場合の二種があります。

その製作方法はカッティング法で、掘り出された仏像の姿かたちから「丸彫像」「半肉彫像」「線彫像」があります。
丸彫の石仏としては、福岡の宇美八幡にのこる如来立像、また、高知の最御崎寺の如意輪観音坐像があります。

←阿弥陀三尊像(臼杵市)

 

 

[石材の種類]
 石材による場合、その石質、特に硬軟が問題となります。地中深くでできた花崗岩などは硬質で緻密、恒久性に富むところから石仏の素材として最も多く用いられています。
 変成岩が素材として用いられることは少なく、大谷石、松香石と呼ばれる凝灰岩は耐久性には乏しいですが、軟質で、容易に彫刻できるところから多く用いられました。

2.泥土によるもの

 粘土を用いて造られる仏像には塑像、せん仏 そして数は多くありませんが、瓦仏もあります。素材は同じでも、製作の過程や技法が異なり、でき上がった作品も全く趣を異にします。

[塑造(そぞう)]
 塑像の製作には心木を用います。その心木は像の姿態に合せたもので、均衡をよく保ち、重心の安定したかたちのものであることが大事です。この心木に素材の粘土を盛りつけ、粘土が脱落しないように荒縄などを巻きつけます。この上に荒土を盛りつけ、さらに中土をつけて像の形を整えます。最後に仕上げの細かい土を盛りつけて完成させます。この場合、粘土が多すぎるとこれを箆で削り、また逆に足りなければ粘土を盛りつけることができ、その表現は実に写実的ですが、重量があり、火や水にもろいという欠点があります。

←仏弟子 法隆寺 五重塔北面 

塑像の発生は中央アジアと考えられます。特に名高いのは敦煌莫高窟にみられる塑像郡です。中国では「彩塑」と称して塑像の表面に彩色や金箔を施しています。六朝から唐代、宋代から元にいたる作として、炳霊寺や麦積山の窟内に多くの塑像がみられます。

 わが国への伝来は七世紀中頃と考えられ、その作例は畿内に多く遺っていますが、古い寺院址の発掘により、東北、関東から九州におよび、ほぼ全国的に塑像や断片が出土しています。古くは 飛鳥、川原寺の塑像、当麻寺金堂の弥勒仏坐像、本像は現存の作例としては最古のものと考えられます。
また法隆寺五重塔の塔本塑像をはじめ、四面の群像は有名です。ほぼ当初のまま残っており、ここの塑像群は非常に重要で貴重な作例です。

[せん 仏]
 せん仏は雌型の原型に粘土をこめ、これを型から抜き取り、日陰で乾燥し、窯に入れて焼き上げ、その表面には漆箔(しっぱく)、彩色をもって仕上げます。鍍金を施されたものも少しあります。概して長方形のものが多く、30cm程度で厚さも4~5cm位で、独尊から三尊、五尊さらに群像形式のものまであります。せん仏は 半肉のレリーフで、光背形(火頭形)、方形があり、例外的な形として、三重天華寺のように菱形を示す例もあります。

←夏目廃寺如来及び脇侍像断片

方形、長方形のせん仏は、多くは壁面装飾用として用いられたと考えられます。この意匠や構成は、インドの石窟寺院の内壁に描かれた千仏画などの影響によるものでしょう。わが国の木造寺院の壁は土壁の漆喰仕上げであったと考えられますので、せん仏を壁画に嵌(は)め込んで同様の効果を出そうとしたものと思われます。ほの暗い堂塔内の壁面に、漆箔や鍍金(ときん)を施された仏が金色燦然(こんじきさんぜん)と輝いて、その荘厳をより荘重なものに仕上げていたことでしょう。方形せん仏には、岡寺や南法華寺にある厚く大きなものから、山田寺出土の独尊の小像まであります。また長方形の作例では、橘寺、川原寺出土の三尊仏から山田寺、橘寺出土の四尊連坐せん仏など多種に及びます。また三重・夏見廃寺で発見されたもので、横へひろがりをもった大型せん仏もあります。稀に、滋賀・穴太寺址から出土したもので、上辺より下辺が厚仕上げられており、明らかにせん仏を立てたときの安定を考えての造りと推察されます。作例は全国的にみられますが、とりわけ豊富なのはやはり大和地方です。

[瓦 仏]
 これは粘土を用いて丸彫の仏像を造るものですが、かたちが出来上ると、窯に入れて焼き上げています。光背や台座も同じく粘土で造り同様に焼成しています。像の大きさも30㎝から50cm程度です。一般に礼拝像として置かれる例はありません。有名なものに、兵庫神崎郡常福寺にある阿弥陀如来坐像と地蔵菩薩坐像とがあります。裏山の経塚から多数の瓦経等と共に発見されたものです。両像共、技法的には粘土で全体をモデリングして、これに箆で螺髪、面相各部、三道、着衣(ちゃくえ)の衣文などを刻んでいます。蓮台は別造しています。両像、他の出土品すべて天養元年(1144)六月に製作されたことを示す願文があります。このほか愛知県岡崎市の妙源寺に伝わる合掌形の如来坐像で、像高19.7cmの小像です。彫法はやはり箆を用いた彫り口を示し、衣文などはすべて線刻です。光背は頭光、身光の二重円相光で、蓮華文、唐草文など入念に刻まれています。伊勢市小町経塚から出土した経塚遺宝のうちの光背と一具を成すものであったことが、その銘「承安四年(1174)五月廿一日」「僧隆円」により、ごく最近判明しました。

3.木材によるもの

 わが国は、古来良質の木材に恵まれていたこともあって、その豊富な木材を用いて仏像を造ることが多く行われてきました。現在国宝や重要文化財の指定をうけている彫刻の約90%が木彫像です。一番古くから用いられているものは「樟(くす)」です。次いで針葉樹の檜(ひのき)や、榧(かや)、広葉樹の桂(かつら)や、欅(けやき)、桜、さらには、松、朴(ほお)、杉なども用いられます。木造彫刻は飛鳥・白鳳時代から盛んに行われ、ことに平安時代からは日本仏像彫刻の主流をなしたのがこの木彫です。しかも室町から江戸時代、さらには今日の造仏まで伝統的に続いています。時代によって用材の種類も異なり、技術、技法にも変化があらわれますが、木彫の場合はいずれの材をいかように用いても、その用材の中から像を刻み出すカッティングという彫法です。仕上げは、その素地(木肌)をそのまま生かす形で、木目をあらわにする造りと、彫出した像の全面に漆をおき、金箔や彩色を施す造りとがあります。

[一木造と寄木造]
 一木造は、頭部から体部まですべてを一材で彫出する一木彫成像のことです。干割(ひわ)れを防ぐ目的から背刳りといって像の背面から、刳(く)り穴をあけて、ここから内刳りを施し、その穴には別材で蓋を造ってこれを覆い外観を整える方法がとられます。この内刳りは単に干割れを防ぐだけでなく、大きな像の重量の軽減、製作中、製作後の用材の安定も計れます。
 一木彫成像でその内刳りをより徹底したかたちで行う方法として「割矧(は)ぎ法」「一木割矧ぎ法」とよばれる技法があります。これは彫刻する工程の途中で、頭体部を前後に、また正中線にほぼ合せて左右に割り離し、その割った面から体内を刳り、再び割れ目を継いでもとの形にもどす方法です。また像の頸部三道下辺りにノミを入れて頭部と体部とを割り離し、これを継ぐ技法を割首(わりくび)と呼んでいます。

 寄木造は、頭体躰幹部を二材以上の別木を矧ぎ寄せ、干割れの原因となる木心を除いて木取りして像を彫出し、内刳りを施してこれを組み上げます。この方法は大きな材を用いなくても巨像が造られるという合理的、経済的な利点があります。寄木造では頭体を全く別の材で造り、首ホゾで体内に差し込む造りがあり、これを差首と呼んでいます。内刳りが行なわれて空洞になった体内に物を納置するようになります。これを体内納入品(奉籠品)とよんでいますが、中世以降非常に盛んに行われるようになります。納入品は三種に大別され、仏・法・僧の三宝に区別できます。中世は生きた仏、生身思想などが流行した時代ですが、仏像の体内に仏・法・僧の三宝がすべてととのっているのは、その仏像がより働きのある仏と考えられました。寄木造の技法の中で特色のあるのは玉眼の使用です。奈良の長岳寺の阿弥陀三尊像は最も古い(仁平元年)作例といわれています。これが鎌倉時代に非常な盛期を迎え、忿怒相の仁王や四天王像、また生前の姿さながらの肖像などにも用いられています。

 ■一木造で代表的な作例は、法隆寺の百済観音立像や法華寺の十一面観音像、唐招提寺の薬師如来立像などがあります。

 ■寄木造では、京都、六波羅蜜寺の薬師如来坐像が最も古く、法隆寺講堂の薬師三尊像の脇侍坐像などがあります。

[檀 像]
 木彫仏の中でひとつの特別な領域をもつのが檀造彫刻、つまり檀像です。文字通り芳香を放つ白檀など堅緻な木質をもつ材でもって仏像を彫刻し、しかも頭部から体部手足はもとより、仏身を飾る装身具の類から天衣、持物、蓮台など細部にいたるまで、材の性質をよく生かして精巧に彫出し、その材の素地(木肌)をそのまま露わにしています。

・檀 像
 
←十一面観音立像 (奈良国立博物館)

白檀はわが国や中国では産しないで、インドなど暑い国に産する喬木(きょうぼく)です。独特の香りがするのはその心材で、色が赤味の濃い根元に近い材が上質とされています。わが国で記録上最もはやい檀像は、法隆寺の養老三年(719)に唐から請来された一具です。東大寺の白檀の観音像や千手観音像、空海の「請来目録」円仁の「聖教目録」等にも檀像や檀龕(がん)仏についての記録があります。檀像、仏龕の多くは中国から請来された模様です。檀像の用材として白檀に代るものとして桜や、榧、檜、桂、樟などが用いられています。代用材を用いてもやはり檀像とのつながりを示すためか、漆箔や彩色を施していません。
 檀像は、刀の切り口、彫り口をそのまま見せるもので、作者の技量をよく見ることができます。その作品に寸分の破綻もみられず見事に彫り上げられたものは、やはり彫刻の精華、仏像の精髄といえるでしょう。

4.金属造

 自然から産出し、われわれに欠くべからざるものとして金属があります。 金、銀、銅、鉄はその代表的なものでありますが、そのいずれも、そのまま産出するのではなく、小さくあるいは、鉱石として産し、これを採集し、溶解して抽出するもので、造像に当ってはこれら素材をもう一度溶解して鋳型に入れて成形し、鋳造後は鋳ざらいやきさげを行って仕上げます。

[銅 造]
 金属で造られる仏像の代表は銅造の仏像で、古来でき上った仏像の表面に鍍(と)金を施し、皆金色(かいこんじき)に仕上げるところから「金銅仏」の名があります。 金銅仏を金と銅の合金で造られた像と間違って理解されることがありますが、これはあくまでも像の表面に施されたメッキのことです。わが国に最初に公伝した仏像は「釈迦仏金銅像一躰」と「日本書紀」に記されています。その後欽明天皇二十三年(562)に高句麗から、敏達天皇八年(579)には新羅から仏像がもたらされています。推古天皇十四年(606)には法興寺(元興寺)の丈六釈迦如来像が造られ、同三十一年には法隆寺釈迦三尊像が造られており、わが国初期の仏像はすべて金銅仏でありました。金銅仏の造立の発願者は天皇や豪族などで、これらの大像を本尊として伽藍を造営する事が行なわれました。金銅仏は飛鳥時代から奈良時代まで盛んに造られ、その最大のものは東大寺の大仏盧舎那仏です。像高16.21mもある巨像で、国の富と銅のあるだけを投じて造立され、以来金銅仏の造像は急速に衰え減少した模様です。平安時代に入ると金銅仏の製作はとみに減少し、再び流行するようになるのは鎌倉時代です。とくに善光寺式阿弥陀三尊像はほとんど金銅仏です。
  金銅仏の製作に用いられる鋳型には三種類あり、蝋型、土型(塑型)、木型に分けられます。蝋型は中型の土の上に蜜蝋を盛り、これをモデリングして原型とします。これに外型の土をつけ、焼いて蝋を溶かして流し出し、この蝋の厚みの分に溶銅を流し込んで造ります。型全体が十分に冷えてから、外型と内型をこわして、中の銅の像を取り出します。この後、鋳ざらい、きさげしてから表面を炭などで磨き、鏨(たがね)で文様や型を整え、最後に鍍金を施します。蝋型には独特の肌合いとやわらか味があります。

←盧舎那仏大仏像(東大寺)

また奈良時代から天衣など薄いひらひらした部分をあらわすのに、薄い銅板を切ってこれに当てるような技術を考え出しています。また手の先など突出した部分を別鋳することも行われます。蝋型の場合全体を一鋳で仕上げることが多いのですが、土型や木型では前後に割っている場合が多く見られます。土や木は蝋のように溶かして取り出すことができないため、このような工法がとられます。
  銅像の中には鋳造の他に押出仏があります。これは半肉彫の原型を土で造り、この型から石膏で雌型を造ります。これをもとに銅製の押出用の型を造り上げます。薄い銅板(0.3~0.5㎜)を火でよくあたため銅型の上に当てて像の形を打ち出します。銅板はすぐに冷えて堅くなるためこの作業を何度も繰り返して完成します。この造像法は白鳳から奈良時代にかけて多く造られ、一つの型から多くの作品を造ることができるという利点があります。単独で礼拝仏とされたり、懸仏の形のものもあります。多くは堂塔の内壁に押出仏を貼り付けて、千体仏を表現したものと思われます。

[鉄 造]
 鉄で鋳造した仏像を鉄仏とよびます。金属造では金銅仏に次いで作例が多いのがこの鉄仏です。鎌倉時代が中心で、栃木、上石川薬師堂の薬師如来坐像が最も古く(建保六年)、地域的には中部地方以東、つまり東日本にその作例が多いようです。畿内にも若干ありますが、西日本にはあまりありません。尊像別では阿弥陀如来像が多く、次いで多いのは地蔵菩薩像です。
 鉄仏は中国で起り、北斉の河清二年(563)に鉄丈六像が造られ唐代に盛んになり、宋代以後に最も流行したようです。
 韓国では八~九世紀ごろから造られたようで、ソウルの国立中央博物館にその優品があります。
 鉄仏の鋳肌はけっして滑らかではなく、ごつごつしていて、ほとんど仕上げがなされていません。鉄は銅に比して溶融温度が高く、鋳造には困難を伴うようですが、とくに特徴的なのは、外型の継ぎ目である鋳バリを残すものが多く、これをきれいに除去するのは困難であったようです。鉄は堅固なものですが、鋳造上、製作技法上いろいろ問題がありながく流行しなかったものと考えられます。

[銀 像]
 銀をもって鋳造した仏像を銀仏といいますが、作例は、まことに少なく、有名なものに東大寺法華堂本尊、不空羂牽観音立像の宝冠に化仏立像としてみられます。また滋賀、浄厳院の本尊、丈六阿弥陀如来坐像の体内に納められていたという阿弥陀如来立像の小像(7.7㎝)があります。

銀像・乾漆造
←不空羂索観音像と宝冠の銀像(東大寺)

室町時代の制作で、念持仏としての要素を多くもっています。興福寺には銀仏手と称する断片が残っています。かなりの火勢に遭遇して焼け残ったもので、ほぼ等身に近い像の仏手です。全像が残っておればと惜しまれますが、腕の中に鍛造(たんぞう)の鉄心が残り、奈良時代の銀仏製作技法の一端をうかがうことができます。
 次に貴重な銀造仏として、鋳造によるものではなく、銀の薄い板で造られた仏像、銀造の押出仏があります。先年滋賀・唐崎の近くで発掘された穴太廃寺の出土品の中にあります。

  作品は菩薩の頭部のみですが、貴重な作例で、奈良時代です。

5.乾漆造

 漆は、中国が原産地で、落葉喬木の一種である漆の木の樹皮からかき取った樹液を集め、これを黒めてつくります。中国では秦代(約2300年前)にすでに漆を用いて器物が造られており、多くは塗料として用いられています。この漆を厚く塗り固めて造った仏像を乾漆仏といいますが、古くはこれを即(そく)、塞(そく)あるいは夾紵(きょうちょ)といいます。中国では東晋時代、招隠寺にて夾紵行像五躰が造られたのをはじめ、梁代には丈六像、陳代では十躰の夾紵像が造られ、北魏から隋代へと漸次その製作が盛んになり、唐代はその最盛期にあったという記録があります。
 わが国へも七世紀に伝わっていて、現存作例としては、奈良、当麻寺の金堂に安置される四天王像があります。本尊の塑像弥勒菩薩仏像と同じ天武十年(681)頃の作と考えられます。
 乾漆仏の製作方法には、脱活乾漆造と木心乾漆造の二種があります。

[脱活乾漆造]
 脱活乾漆造は塑像にみられるように木心に粘土を盛って仏像の大体の形をつくり、この粘土像の上に麻布を貼って全体を覆います。次に貼る麻布からは漆を十分に含ませてこれを順次張り重ねます。漆が適当に乾いた段階で、背面から布を切り開き、内部にある粘土、心木などをとり出します。体内は空洞になり、後に漆がやせたり変形したりするのを防止する方法として体内に支柱や横に枠木などを組み入れ、いわゆる木骨を構成します。先に切開した部分は蓋をして、針と糸で縫合し、像の全体に漆を塗り、木屎(こくそ)漆などで、盛り上げ部分を強調したりします。また両手先の指、着衣の遊離部、天衣などには鉄心か銅心を入れて補強し、これに木屎漆を盛って整形します。仕上げには漆箔や彩色、また切箔を施します。重量が軽く、災害時にも救出し易く、奈良時代はこの製作法の最盛期でした。唐招提寺の鑑真和上像、法隆寺夢殿の行信僧都像はともに脱活乾漆造の傑作です。法隆寺には伝法堂、中間、西間の阿弥陀如来三尊像もあります。

[木心乾漆造]
 木心乾漆造は、木心の上に厚く漆を盛り、塗り固めた仏像です。その木心は木彫仏の製作初期の荒彫像にもう少し手を加えた程度の木彫像を原型とし、この上に木屎漆を盛り上げたり、麻布を貼り重ねたりして整形します。木心の多くは丸彫ですが、中には前後に二材を足してつくる場合もあります。木心乾漆造はカッティングとモデリングの二つの技法が使用されているものです。仕上げは漆箔、彩色を施します。
 奈良時代の作例として有名なのは興福寺の十大弟子や八部衆で、そのうち一躰には木心部が残っており、その技法を知る上で大変貴重です。
  一木式木心乾漆像としては奈良、聖林寺の十一面観音立像、京都、観音寺の十一面観音立像、奈良、興福寺の阿弥陀三尊像などが有名です。また二材を足した木心乾漆像としては法隆寺伝法堂、東面の三尊像です。阿弥陀像、脇侍像ともに内刳りされ空洞になった体内には十字形の木枠や、二本の角材と横木が組まれ、肩から両足までを支えています。特殊なものとして、岡寺の義淵僧正像は頭体を一木で造り、膝前は別材を刳ぎ、内刳りを施し、厚く木屎漆が塗られています。


以上の文献、参考写真は、著者 故光森正士先生の 「仏像彫刻の鑑賞基礎知識」
(発行所 至文堂)から引用させていただきました。


コメント & トラックバック

トラックバックはできません。

コメントはありません。

コメント





XHTML: 記述の中に以下のタグが使えます。
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

カテゴリー
注目
お問い合わせ

null
カタログご請求のページへ

お仏壇カタログ進呈(無料)
お電話でのご注文、お問い合わせは

フリーダイヤル
0120-27-9595

フリーダイヤルは小堀本店で受信します。お電話受付は午前9時~午後6時[年末年始12月29日~1月4日まで休業、それ以外は年中無休]

メールでのお問い合わせは下のボタンをクリックしてください。

うまく送信できない場合は直接、info@kobori.co.jp にお送り下さい。

ご寺院様コーナー
メインカテゴリー